常泉寺は文禄4年(1595)乙未8月10日、この地に頭陀寺6世玉叟幸鎮和尚によって創建された。川俣の玉泉寺、羽田の円照寺、霊山の普光寺もこの和尚の開基である。当時は豊臣秀吉による天下統一がなり、最も布教活動が盛んな時代であったといわれる。同寺の前所は赤作から倉作入口の動橋に移った観音堂と伝えられ、寛文年中に今の地に移り清流山常泉寺と号した。
山門は間口8m、奥行6.2m(4間2尺×3間2尺)高さ3.6m(1間2尺)の白壁作り黄檗風といわれ、絵に見る龍宮のような楼門の上に間口6.2m、奥行4.24m、高さ7.87m、(3間2尺×2間2尺×2間6尺)の楼閣があり、大般若経600巻が納められ般若閣とも称された。その後18世恵秀亮光和尚(明治24年11月寂)によって楼閣に養蚕神が祭られ蚕養山常泉寺と山号が改められた。その後、昭和46年に山号は巌松山と再度改められた。
町飯坂村(旧川俣町)宮町に生まれた関義則は彫金師として江戸で名を挙げ、浅草寺や泉岳寺の山門に大作の龍を掲げたが、関家の菩提寺である常泉寺の山門にも同じものを掲げようと、町小綱木村(旧川俣町)菅野与右衛門らの尽力により製作の運びに至った。しかし、明治3年11月、義則が東京で没したため遂に未完成に終ったが、作品の赤銅の彫金龍はそのまま東京から運ばれ、山門の天井に掲げられたという。なお、関義則筆の下絵が同寺に保存されている。 |